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神絵師とは? イラストレーターと何が違うの?【絵を描くときに他人の評価を気にするべきか論】

8 min
神絵師をめざすのは是か非か
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こんにちは出雲寺ぜんすけ(‎@blankcoin)です。

今回は神絵師について考察してみようと思います。

前半は神絵師って何んなのってことをまとめたあと、後半では神絵師を目指すのってどうなの? そのために他人の評価を気にするのはいいのか悪いのかについてじっくり語っています。

「評価を気にするのつかれませんか」とか「評価を気にしてみんな似た方向性になってないですか」などといったことが気になっている人は必見の内容ではないかと思います。

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神絵師とは何か?【絵を描くときに他人の評価を気にするべきか論】

神絵師には具体的な定義があるわけでなく、賞賛の言葉として使われていることが多いですね。

わかりやすいのは画力ですが、そう単純なものでもなさそうです。

そもそも絵師って何よ

浮世絵師とかの『絵師』が語源で、江戸時代とか画家という職業がないころの呼び方だったようですね。

それから転じて「絵を描く人」「絵描き」のことを現代のネットスラングで『絵師』と呼ぶようになったわけですね。

最近では書籍などでもタイトルに絵師という単語を普通に使われるようになっているので、もはやスラングの域を超えた感がありますね。

語源の江戸自体とかの絵師はそれこそプロだったかもしれませんが、現代の絵師はプロアマ関係なくざっくり絵を描いている人を呼ぶときに便利な言葉として使われているのだと思います。

ー-『絵師』ー-

それは、アニメやゲームなどサブカル的な絵を描く人のことをふんわりとまとめて呼べる言葉。

人によっては絵師とか神絵師のようなネットスラング的な呼び方の好き嫌いはあるかと思います。

最初はすぐに消えてしまう呼び名かとも思いましたが、意外と定着してきているんではないでしょうか。

僕は絵を描くことを仕事にしてはいるものの、じつは大学は日本文学科を卒業しています。

そのせいもあるのかこういった自分が生きている間に使われるようになったスラングや言葉は興味深い対象です。

絵師という呼び方が非常にすぐれている点

  • 文字数が少ない
  • ソフトの名前とかぶらない
  • プロに限定しない
文字数が少ない

イラストレーター』だと8文字必要なところを『絵師』だと2文字に圧縮できます。

Twitterも140字という制限のなかで表現するSNSですが、日本で特に人気な理由にこうした短い文字数で表現できるというところがあります。

ファイル名、フォルダ名そしてブログのタイトルなど文字数に制限があるときに少ない文字で表現できるのは利点です。

ソフトの名前とかぶらない

イラストレーターというとAdobeがソフトにIllustratorなどというネーミングをしてしまったばかりに職種のイラストレーターなのかソフトのイラストレーターなのか、検索もしにくいですよね。

プロに限定しない

イラストレーターというとどうも職業感があるのでプロというのをその言葉に内包ないほうされてしまいます。

プロとか趣味とか関係なくイラスト描いている人たちって言いたい場合には絵師という言葉のほうがつごうがいいわけですね。

そんなわけでこの便利さが絵師という言葉がここまで定着してきた理由なんじゃないかなと思います。

神絵師ってようはイケメンと同じ!?

神絵師って言葉自体はいってみればイケメンとかそういう言葉と同じだと思います。

形容詞名詞
イケてるメンズ
絵師

というように名詞の部分を形容詞で賞賛している形ですね。

そんなわけで、誰にとってかによって評価はわかれるわけです。

別に日本中の人に知られている必要もなくて校内で一番のイケメンと同様に校内一の神絵師という表現をしても問題ないでしょう。

そんなわけなので神絵師であればプロになりやすいですが、プロでなくても神絵師はいてもおかしいことではないですね。

神絵師って人気イラストレーターってこと?

人気、知名度があると、神絵師と呼ばれる回数が増えるのは間違いないでしょう。

数々の絵師が揃い踏みするコミケなどは同人誌の搬入数や列のできやすさなどで配置も変わるので人気もわかりやすいのではないでしょうか。

神絵師かどうかはフォロワー数で決まるの?

さらに、わかりやすいのはツイッターのフォロワー数がありますね。

人気がわかる指標でもあるんでそれも一つの判断材料ではないかと思います。

これが何人以上が神絵師とか基準があるなら逆に僕も知りたいところです。

でも、神絵師ってそういうものでないんですよね。見る側が勝手に思うことだったりするのです。

ようするにフォロワー数含め、認識されている人数が多ければ多いほど神絵師と思ってもらえる人数が増えるということです。

ただ、前述しているとおり誰にとってそうかという言葉なので、SNSをやっていない業界の重鎮とかもいくらでもいると思います。

そうなると当然フォロワー0でも神絵師なわけですよね。

ぜんすけ

ぜんすけ

フォロワーの多いイケメンもいればフォロワー0のイケメンもいるというのと同じことですね

神=信仰の対象!?

『神』というワードをただの『スゴイとか人並外れた』という意味でなく、信仰の対象という意味合いを持たせるのであれば信者が多いことで同じ神絵師でも神格が上がるとかはあるかもしれないですね。

神絵師になるには焼肉食べてネコを飼う?

今回神絵師について記事を書くにあたっていちおうGoogle検索をしたりするわけですが、そうするとサジェスト(検索候補提案)で「神絵師 焼肉 猫」とかでてくるわけですが……まぁネタですよねw

神絵師達が焼肉に行ったときの写真とか猫の写真をSNSに投稿しているから、焼肉を食べにいけば神絵師に!? とかいったノリです。

しかし、猫は人間に飼われることで個体数を増やしてきたので神絵師という広告塔を利用して猫を飼うことの利点を喧伝し、さらなる繁栄を目指しているのかもしれません

そのため猫を飼うことで神絵師となる力を得ることができるというわけですね。

じっさいに僕の元同僚でどえらくフォロワー数が多い人が4匹ほど猫を飼っているという事実もあります。

この陰謀論、信じるか信じないかは、あなたしだいです!

神絵師ってめざしちゃダメなもの!?

神絵師目指すとか言わないで好きに楽しく描こうよって意見ももっともだし、その逆に向上心をもって神絵師を目指していこうというのも、そうですよねと思うし正反対の意見だけどどちらも間違っていなさそう。

結局どう考えていけばいいのか迷ってしまったりしませんか?

ぜんすけ

ぜんすけ

この問題について僕の考えをまとめてみました

需要がないとダメ? 自分の好きに絵を描いてはいけないの?

需要がなくてはダメかというと、キビシイ話ですがプロならダメです。

お金払ってもらって生きていくのがプロなので需要がないとプロとして成立しないので。

まずはクライアントの求めるものに応える必要がありますし、その先のユーザーの求めるものを意識する必要はあるでしょう。

でも趣味で自分の楽しみで描くのであれば需要など考える必要ないのでそれはそれでOK。

イラスト以外で考えてみるとわかりやすいですね。

「農家ですが、需要がないとダメですか? 自分の好きな作物育てたほうが楽しいですよ」

プロとしてはこれだときびしそうであることがわかると思います。

でも家庭菜園なら需要とか気にしなくてOKですよね。

絵を描くのはプロだけではありません。だから需要がない絵を好きに描いていいのです。

だけど、イラストのプロを目指している人に対して、需要を気にしないで好きに描こうというのは適切な提案とはいえないかなと思います。

ぜんすけ

ぜんすけ

誰に対して伝えるかで180度メッセージが変わるわけですね

プロだからこそ既存の需要だけでなく、その先を考える

もちろん需要が多いところは競合も増えるので埋もれやすくもあるでしょう。

いわゆるレッドオーシャンってやつですね。

ブルーオーシャン戦略

これに対して自分が良いと思うものを描こうという提案はブルーオーシャン戦略を推奨するものだと思います。

競争の激しい既存市場を「レッド・オーシャン(赤い海、血で血を洗う競争の激しい領域)」とし、競争のない未開拓市場である「ブルー・オーシャン(青い海、競合相手のいない領域)」を切り開くべきだと説いている。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

え? じゃあさっきの趣味でやるときの需要とか考えず好きに描くのと、どう違うの?

と思いますよね。プロは需要を意識するのではなかったのかと。自分の良いと思うもの描いちゃっていいのかと。

言葉だけみると同じことを言っているようですが、少し補足して比べてみましょう。

  • 需要を気にせず自分が好きなものを描く。
  • 需要があると自分は思っているが、まだ世にない自分が良いと思うものを描く。

こうして並べてみるとなんとなく違いがわかるのではないでしょうか。

レッドオーシャンに飛び込んだっていい

というわけで、競争相手のいない領域を推奨するものの、正直いきなりまだ見えぬ需要を見つけるのは結構むずかしいのではと思います。

もちろんそれをできれば一気に神絵師といわれるようになることも可能ですし、理想といえるでしょう。

しかし、それが簡単であれば誰も苦労しないわけで、すでにある需要や流行を狙ったっていいじゃないかなと思います。

それはむしろプロであれば当然のことで何も否定されるようなことではないと思います。

ただ、そこはレッドオーシャンでもあるので疲弊もするでしょうし、そういうのは疲れるからいいやという意見もあることでしょう。

流行を見てタピオカ売ってもいいしそんなの気にせずに、ぜんざいを売ってもいい

そんなわけで、プロなら別に流行追ってもいいと思うんです。

ぜんすけ

ぜんすけ

プロは商売ですからね。これもイラストではなく別の商売で考えれば理解しやすいです

タピオカが流行っているからタピオカ売るというのは別に悪いことではないですよね。

逆に「いやうちはタピオカでなく小豆でいくよ」と流行りなんて気にせず、ぜんざいを売り続けている店もあっていい。

もちろん、今までなかった新たなスイーツを開発したっていいと思うんですね。

大切なのはみんなの役に立つことは何かを考えればOK

基本的に社会に対してどんな役に立つことができるかで考えればいい結論にいくと思います。

流行りのものはそれを求めているひとも多いので、それに応えることは当然社会のためになることですよね。

でも当然僕らはタピオカミルクティー以外の物も飲みたいからそっちを提供することも社会全体のためになるわけです。

これはイラストでも同じですね。

  • 流行のものは求めている人が多いので社会全体のためにもなるから流行りを追ったり需要を気にするのもOK!
  • でもそれ以外にも社会の役に立つ絵はいくらでもあるから流行なんて関係ねぇ! もOK!

需要を気にしても評価は気にするな

需要があれば評価してもらえるし「需要を気にすることと評価は気にすること」は同じではないの? と思いますよね。

これが違うんですね。

需要を考えると評価を気にするの違い
  • 需要を考えるのは何をすることで貢献することをできるかを考える。
    行動するにすること。
  • 評価を気にするのは、行動した結果自分のしたことがどう思われたかを考える。
    行動したにすること。

でも評価を気にしないのってなかなかむずかしいですよね。

僕も過去を振り返ってみても、できていなかったですし、今後もそうできるとも言い切れません。

でも、僕自身も今後できるだけ評価を気にせずにいられるようにこの記事を書いています。

自分がこれから提供すること(絵師であればイラスト)が世の中のためになるのか(需要があるのか)は考えるけど、その結果の評価は気にしない。

よくアンチは気にするなと言われますが、まさにアンチコメントというのは評価ですから気にしなくていいですし、逆にプラスの評価も気にする必要はないのです。

分析するのは評価を気にすること?

評価を気にするなといっても、Twitterアナリティクスとかで分析するのはどうなの? 評価を気にすることになるのではと思いますよね。

これについては次のように僕は考えています。

  • 需要を知るために分析する⇒行動が変わる
  • 評価を見て一喜一憂する ⇒感情が変わる

『行動』と『感情』どちらに変化が起きるかの違いがあるわけですね。

変わるのが『行動』ならOK『感情』ならNGということです。

神絵師を目指すことで競争や承認欲求の闇にハマるべからず

神絵師を目指すことで自分自身が成長することを追及するのはいいんです。

しかし、過度に人と競争したり他人の評価を気にする必要はないんです。

受験戦争などといって、場合によっては小学生のときから人との競争の中で生きることに慣れさせられた社会に生きてきているわけで、放っておいたら競争意識になってしまいがち。

ましてやSNSなんてのは承認欲求を刺激して拡大しているサービス。

SNSのマイナス面として取り上げられることのあるメンタルの悪化するということの原因も競争と承認欲求による嫉妬などによるものでしょう。

ぜんすけ

ぜんすけ

競争や承認欲求のダークサイドに足を踏み入れないように気をつけましょう

競争意識も承認欲求も人類が生き残ってくるのに有利だったから得てきたことなので、それ自体が悪いものではないと思いますが、そこに必要以上に執着してしまいコンプレックス化してしまうとよろしくないということですね。

承認欲求は行動の原動力にもなりうるので上手く使えると力になるはずです。

承認欲求とかは異能力バトル漫画とかであるような、スゴイ力なんだけどうまいことやらないととえらいことになる系のやつ(ナルトの呪印とか青の祓魔師のサタンの力とか?)だと思って、ほど良くコントロールして使っていくことを意識できるとよさそうですね。

神絵師を目指すよりも神絵師を研究する

仕事って世の役に立つ活動ですよね。みんなが仕事しているから今の便利で快適な社会がありますね。

イラストも同じで世の役に立つ絵を描けるようになることで仕事になりますし、そうした貢献ができるようになることが理想です。

しかし、神絵師ってもうそれ自体が承認欲求の権化みたいな単語ですよね。

ですから意識していないと競争や承認欲求になりがち。

そんなわけで「神絵師を目指すってどうよ?」ってこの記事の最初にあった問いに対する僕の答えは次のようになります。

ぜんすけ

ぜんすけ

『神絵師を目指す』より『神絵師を研究する』といいではないかと思います

いかがでしょう?
そのほうが過度な競争や承認欲求にならずに済みそうな気がしませんか?

神絵師を『目指す』と『研究する』のニュアンスの違い
  • 神絵師を目指すだと神絵師というゴールがあって受験勉強みたいに頑張った結果合格して神絵師となり承認欲求が満たされるイメージ
  • 神絵師を研究するだと神絵師はいかにして絵を描いてより多くの人を喜ばせているのだろうかと学び、多くの人に喜んでもらえる作品を提供できるように頑張るイメージ

まとめ

  • 神絵師って言葉自体はいってみればイケメンとかそういう言葉と同じ
    フォロワーの多いイケメンもいればフォロワー0のイケメンもいるというのと同じ。
    しかし、『神』には信者が必要というのであれば少し話は変わってくる。
  • 需要がないとプロならダメだが趣味ならOK
  • 流行のものは求めている人が多いので社会全体のためにもなるから
    流行りを追ったり需要を気にするのもOK!
    でもそれ以外にも社会の役に立つ絵はいくらでもあるから
    流行なんて関係ねぇ! もOK!
  • 理想としては需要があると自分は思っているが、まだ世にない自分が良いと思うものを描く。
    しかし、それが難しい場合は既存の需要から始めるのもあり。
  • 自分がこれから提供すること(絵師であればイラスト)が世の中のためになるのか(需要があるのか)は考えるけど、その結果の評価は気にしない。
  • 競争や承認欲求というダークサイドに足を踏み入れないように気をつけましょう

ちなみに他人の評価を気にしないこと共同体への貢献っていうのはアドラー心理学でも語られていることです。

アドラー心理学は嫌われる勇気という書籍で日本でも一躍有名になり僕も数年前この本で知りました。

最近読んだアルフレッド・アドラー 人生に革命が起きる100の言葉が気に入ったので僕の中でアドラー心理学が再燃中です。

あなたが劣っているから劣等感があるのではない。
どんなに優秀に見える人にも劣等感は存在する。
目標がある限り、劣等感があるのは当然なのだ。

アルフレッド・アドラー 人生に革命が起きる100の言葉

こんな感じの言葉とその解説がのってます。今回の記事の内容が気に入っていただけた場合は読んだら響く言葉があるかもしれないですね。

といってもこの記事すべてがアドラー心理学に則って書けてはいないかもですが……。

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