先日TIME SMARTお金と時間の科学という本を読んだ。
日々仕事に追われてやりたいことに対してできることが少なくて気持ちばかりが焦ってしまう。
そのように感じていたりしないだろうか?
このはそうした時間のない『タイム・プア』から『タイムリッチ』になるための本だ。

この本でサラッと触れられていたワーキズムという概念について今回は考えてみたい。
ちなみにワーキズムという言葉は直訳すると労働主義になる。
以前僕が書いた記事では資本の奴隷にされる資本主義よりも労働に高い価値を持たせる労働力主義のほうがいいのではないかという論じた。
≫FIREを目指すのは本当に正しいことなのか?「お前も資本主義の鬼にならないか?」
これはワーキズムという言葉を知る前に書いたのだが意味はかなり異なるので別ものとして考えていただきたい。
仕事は人生の目標か?
自分がいまやっている仕事に大いに不満があるのであれば
「仕事は人生の目標ですか?」
という問いに対してNOとハッキリ言えるのかもしれない。
しかし、それなりに仕事に対して意義を感じていたり、夢を追っている場合はどうだろうか?
仕事を目標と重ねてそれを人生の中心に据えすぎてしまっていないだろうか?
かつては生きるための手段であった仕事が今は『働くために生きている』ということなのだ。
「生活のため、金のために働いている」よりも
「意義のある仕事、やりたいことで生きていく」が是とされる世の中なっているということだ。
そのため、
「金のために働いているんだ!」
っていうセリフはどこかそれでいいの?という雰囲気がある。
ニヒルなキャラならともかく正統派な少年漫画の主人公に「金のために働いている」というセリフを言わせるとキャライメージが崩壊してしまいかねない。
しかし、僕らがそう感じてしまうことこそ、ワーキズムにいつのまにか囚われていた証拠なのかもしれない。
ワーキズムは信者を求めて競う、最新の宗教!?
TIME SMARTお金と時間の科学という本のp.49に『ワーキズムは信者を求めて競う、最新の宗教』というワードが出てくる。
仕事を中心に考えすぎてしまうということだけでなく、「信者を求めて競う」とはインパクトのある一文だなと感じた。
そのため今回こうしてブログ記事として考えをまとめてみようと思ったわけだ。
お金をばらまいてフォロワー集めするのはまさにワーキズム!?
信者を求めて競う最新の宗教ということだが、お金を稼ぐゲームの勝者が今度はそのお金をバラまいてフォロワーを集めているのはまさにこのワーキズムという新しい宗教のわかりやすい例なのだろう。
貨幣経済や評価経済などと『経済』という言葉を使うと宗教的な印象はたしかに感じにくい。
しかし、考えてみれば宗教というやつは中にいる人にとってはアヤシイものでなくスジが通っていると思っている節がある。
すなわち僕らもこのワーキズムという宗教にいつのまにやら組み込まれていたのであれば、外からみたらワーキズムという宗教が、じつは理不尽な搾取のあるアヤシイ新興宗教だったとしても、中にいる僕らにとっては正しい価値観に思えていただけなのかもしれない。
評価経済のワーキズム
SNSというのはとてもわかりやすく数値で表現してくれているので皆がフォロワー数を競いあっているのがよくわかる。
実際にそのフォロワー数によるマーケティング効果を期待して仕事を企業が依頼することもある。
そのため、そこで得られるような仕事をしたい人はSNSをがんばるという評価経済に取り込まれる。
お金という経済と評価経済はそれぞれに影響しあうことで、より多くの参加者を生み出す。
- より良い仕事をすることで、お金と評価が高まる。
- さらなるお金と評価を求め仕事をさらにするようになる。
- 仕事が人生の中心であり、仕事が人生の目標となる。
というわけで自然な流れでワーキズムに組み込まれていく。
信者を求めて競うというこの競うというのがさらに加速させている要因だろう。
数値化されてなかったらそもそもその競争に踏みこんでしまう人も少なかったかもしれないが、今の時代はSNSに一度も触れずにいることのほうがむずかしい状況だろう。
SNS疲れというのはまさにこの評価経済のワーキズムに囚われてしまって疲弊しているというわけだ。
僕らは遺伝子の行動原理をハックされてるんじゃね?問題
そもそも、人類もただの動物なので遺伝子を残すことをプログラミングされた存在であり自分の意志で生きているようでほとんど遺伝子さまのいうとおりに行動してしまっている。
お金や評価を追い求めてしまうことも結局のところ進化心理学的に考えれば子孫をより多く残すために優位になるからという単純な理由になってしまう。
もちろん僕ら自身はそんな理由でやっていると思わず表面上のカッコいい理由付けをするだろう。
その典型的な言葉が『夢』や『志』である。
『自己実現』なんてのも遺伝子さまの目的をオブラートに包むには最適な言葉だろう。
しかしそういうと
「いやいやいや、自分はそんな遺伝子を残すために今の自分の夢を追っているんじゃない」
と反論したくなるのではないだろうか。
僕もである。
しかしだ。
それでもやはり進化心理学的な行動原理には説得力があるように思える。
たとえ心理的には否定したくても。
僕らはこの遺伝子さまを狙われてワーキズムに組み込まれてしまっていると思う。
現代社会に生きるの『僕らの幸福感』と『遺伝子さまの目指すところ』は必ずしも一致していない。
(自然な状態であれば本来この二つは共通しているはずなのかもしれない)
だから僕らが国家や社会から遺伝子をハックされ続けないで自らの選択に立ち戻れるようにするためにも、一度考えてみなければいけない。

お金や評価を稼いでいる人に対する感情は繁殖のため?
誰か自分以外のお金(評価)をたくさん稼いでいる人がいたときにどのような感情を持つだろうか?
- うらやましいッ
- すごーい
- 失敗しろ~
などなど。
それぞれの理由を進化心理学的な繁殖行動に基づいて考えてみよう。
うらやましいッ
嫉妬の感情は自分が繁殖の機会を失うことによる焦り。
群れの中に上位互換がいれば子孫を残せない。
自分の能力とかけ離れたスキルでは嫉妬は感じないのは、その対象は自分との競争対象外だからである。
すごーい
スゴイは自分もそうありたいと思うパターン。嫉妬やシャーデンフロイデが生じていないので、わりと自分とは離れた対象である場合に感じる。
失敗しろ~
失敗しろと思うのはいわゆるシャーデンフロイデというやつだ。
これまた嫉妬と同じで自分の上位互換の存在が失脚することで群れの中で序列が繰り上がる可能性があがる。
というわけでわりと納得できる内容だ。まぁ認めたくないものだなと思うかもしれないが……。
嫉妬って恋愛の場合はそのまんまであるが、恋愛以外でもあるのは結局は群れのなかで認められることが子孫を残すことだから表出する感情ってことだろう。
これが理屈としてわかっていなければシャーデンフロイデや嫉妬は謎に湧いてくる感情だ。
しかし、遺伝子が繁殖のための指示で起こしている感情だとわかればもう少し考えようもあるというものだ。
繁殖が必要ないなら、その感情も不要では
現代社会において子供をもつ人数はある程度限界がある。
そもそも子供がいらないと思っている独身者であれば、嫉妬などの感情は不要である。
子供がすでにいる場合で、もう今以上に多くの子をで充分な場合も同様だ。
法治国家でなかったり一夫多妻が認められている国ならばともかく、そうでない時点で必要以上に子孫繁栄のために優位になるために頑張る意味はあるのだろうか?という話だ。
すなわちまったく不必要な努力をしてるんでは? とも考えられるわけだ。
意図的に逃げなければワーキズムからは抜け出せない
状況によっては意味がないとしか思えない、ワーキズムだが完全に遺伝子の弱点を突かれているので、これから抜け出すのは困難だ。
まず、一夫一妻制なんでこれ以上モテる必要ないんっすけど、という状態なのになぜかまだお金や評価を追い求めてしまう人も多いのではないだろうか?
それにはやはり子供を作るだけでなく、さらにその先の世代まだ子孫が生き残れるようにより優位な状態にしたいと思うからだろう。
すなわちこの資本主義社会の勝ち組に子供を送りこむためには教育などにお金が必要だということだ。
結婚して子供を作ったからといって、なかなかカンタンにはワーキズムから抜け出させてくれないのだ。
ワーキズムからの離脱① お金をかけずに資本主義社会と適度な距離をおく
TIME SMARTお金と時間の科学という本ではお金より時間を重視するということが書かれていて、僕もそのことには共感するところがあり読んだ。
しかし、一つ僕の考えとことなることがあるとすれば家事代行サービスなどを推奨している点だろう。
▲こちらで解説したように僕は家事代行サービス否定派だ。
使ったことがなく否定しているのではなく、実際に使ってみた結果ごく一部の人以外にはおすすめしない。
もちろん数円安く買うために時間をかけて遠くに買いにいくようなことは無駄あり、時間を優先するべきだ。
しかし、家事というのはある程度身体を動かすことができる低強度の運動の側面があるのを見逃してはいけない。
家事代行にお金を払って身体を動かす機会を減らしているのに、今度は健康のためにジムに行って身体動かすために金を払うというのは、まったく意味が分からない状態ではないだろうか?
非常に矛盾した行動で、身体を動かしたいのならすなおに最初から自分で家事をやっていればいいのだが、なぜか謎にジムや家事代行にお金を払うことを是とする経済社会には距離を置いたほうがいいと感じるのだ。
ワーキズムからの離脱② 評価経済にとりこまれすぎない
SNSの良い側面もあるが、そこに重点をおきすぎてしまうのはワーキズムという宗教にどっぷりつかることになる。
お金や仕事のためにSNSが優位に働く面があるので、貨幣経済にからめとられていると連鎖的に評価経済にも巻き込まれる。
なので、結局のところ無駄な見栄など『地位財』をスルーし、サブスクやラテマネー的なものを節約することなどで資本主義社会に搾取されないことが結果として評価経済からも離脱しやすくなるというわけだ。
▲学歴なんかは思いっきり『地位財』なのだが物の地位財をスルーできる真面目なタイプでも取り込まれてしまいがちではないだろうか。

おわりに
こうして今回ワーキズムに関して記事をかいたわけだが、ではその発端となったTIME SMARTお金と時間の科学という本にはさぞワーキズムについて書かれているのだろうと思うかもしれないが、じつは何行も書かれていない。
しかし、この本で知ったワーキズムという言葉には、あらためて仕事の人生における意味を考えるきっかけになった。
他にもTIME SMARTには『タイム・プア』になってしまいがちな6つのタイムトラップというのが紹介されていて参考になる。
たとえばタイムトラップ5つめの『手持ち無沙汰嫌悪』というのは特に興味深い。
哲学者パスカルの「人間の問題はすべて、部屋で1人静かに座っていられないことに由来する」ということばにあるように、僕らはじっとしていられない性質があるって話だ。
この『手持ち無沙汰嫌悪』というタイムトラップについては、また別の記事で深堀できればと思う。
