大学の理事長が学費や補助金を不正に懐にいれているようなことがニュースやワイドショーなんかでもながれている。
学生みずからアルバイトしておさめた学費が搾取されているこの現実。
いいかげん僕らはこのあほらしい学歴社会のNOをつきつけるべきではないだろうか?
受験戦争の勝者も、胴元である大学に上納金を収める敗者にすぎない

僕は中学受験戦争がもりあがっていた時代に生きてきた。
まだ、僕らの親世代の大卒がめずらしい時代ならともかく、団塊ジュニアの時代にはすでに皆が大学にいくようになり特別それが意味をなさなくなってきていた。
そして、その受験戦争のもりあがった時代の人が大学生になったとき氷河期となり就活も理不尽な困難さに直面する。
受験の塾代や私立の学費を中学から大学まで課金した結果、待ち受けるのは氷河期という手厳しい仕打ち。
これはタイミングによって明暗を左右される、完全に運ゲーなのである。
そもそも、小学生にはそんなことなどわかるわけもなく放り込まれたわけだが、その結果をみるかぎりこんなにやばいギャンブルはないなと思ったわけである。
しかし、冷静になって考えたことがなければ、この大金を賭けたギャンブルは日本中で行われているのだ。
自分が中学受験戦争を経験した世代が今まさに親になり、自分も通った道だしなということで、中学受験がもり上がってきているようだ。
中学受験の勝者は、はたして本当の勝者なのか?
受験戦争にサヨウナラ
しかし、僕もこれで受験戦争を通ってきただけに気持ちはよくわかる。
大学などの受験と違って、中学受験は親の受験ともいえる二人三脚行うものだ。

それだけに僕にとってもたった2、3年の間のことなのに親との思いでのなかでも特に印象深いものだ。
その記憶があるだけに自分が今度は子どものためにともに戦おうかという気持ちになった時期もあったのはたしかだ。
親とともに中学受験を戦った記憶が「大変だったが悪いものでもなかったか」と喉元過ぎれば熱さを忘れるでよきもののようにも思えたのだ。
しかし、あらためて僕ら氷河期世代が中学受験戦争の果てに得たものはなんだったのだろうか?
それを考えれば中学受験なんてサヨウナラなのだ。
親子で何かに取り組んだ記憶は受験以外でも作れる
よく考えたら受験は勝っても負けてもアホほどお金のかかる、参加した時点で負け確定のゲーム。
そんなもので親子の思い出作りをしなくても他にいくらでもそれは可能なのではないか。
そのことに気がついたら僕は自分もやったしなという理由で中学受験をさせる必要はないなとハッと目がさめたのである。
そもそも、将来どのくらい給料あがるかわからないというのに毎月中学受験塾に数万もぶち込むのは正気のさたではない。
もし塾代に毎月何万も払っているなら、宝くじなどに毎月数万つっこんでいるひとのことを笑えた話ではなく同じ穴のムジナなのだ。

仮に東大に合格してその後どんな人生を送りたいか、そのことを親であるあなたはもちろん、子ども本人が持っていないならこの学歴社会には関わりを持たないほうが幸せになれるのかもしれない。
学費は投機
学費は投資と考えるのは無理がある。
元本割れどころか確実に元本なくなるうえ、将来のリターンも不明瞭。
どう考えても投機というかギャンブルなのである。
僕らは学費はギャンブルであることをしっかり把握したうえで参加するかどうかきめたほうがいい。
どこの学校にいくかとか進路を決めるのも基本的に本人は未成年。
そこまで本気で学費や将来のリターンを考えている人はどれだけいるだろうか?
おおよそ大半のひとは「まったくわからない。俺たちは雰囲気で大学に通っている」といったのが本音ではないだろうか。
みんながいってるから大学へいく。
そんな横断歩道みんなで渡れば怖くない理論でとんでもないギャンブルに多くの国民が参加しているのがこの世の中なのである。
節約してる場合じゃない! まずみなおすのは学費
サピックスの塾代は月額5万前後する。これに突っ込んでいる時点でもはやどんな節約も焼け石に水だ。
まずはこれが本当に必要なのか考えることが先である。しかしこの月5万の塾代はまだ序の口でありその先はさらに金額が上がる。
大学は年間100万はするから、月額8万以上かかる。

本当にその学校にいってもとがとれるのか、それを考えなければならない。
もちろん、その場にいかなければなかった出会いや機会はあるかもしれないので全否定するつもりはない。
ただ、いえるのはこまかい節約や副業をしている場合じゃねーぞというレベルものなのになんとなくでぶち込みがちな学費。
これについてはよく考えてから判断するべきだし、このブログでも今後よりくわしく取り上げていきたい内容だ。
8万円は何時間の労働? その価値あるか計算しよう
大学ざっくり年間100万で月にして8万としよう。
では8万を稼ぐには時給1000円なら80時間。
なんとアルバイトなら週40時間労働フルタイムで2週間働く必要があるのだ。
二人進学させたら倍の1ヵ月になるわけで、本当に大学の奴隷になってしまう。
もちろん時給が2000円なら奪われる時間は半分ではあるもののそれでも1週間だ。
大学に通わせることのために毎月あなたに与えられた時間の1週間から2週間を捧げる価値はあるんだろうか?
こうして時給換算すると正気の沙汰とおもえないのが学費なのである。
なぜこんなイカれた金額払って大学へいくってしまうのか?
こんなに馬鹿らしいことなのが明白なのになぜ皆がこぞって進学してしまうのだろうか。
その理由はマウンティングだ。
見栄の張り合いという、ざんねんな理由だ。
しかし、それは人間が進化の過程で得てきた生存戦略でもある。
見栄などくだらないが、みんなが夢中になっているもので優れて仲間から評価を受けること。
現代でいう「いいね」をもらうということは群れに受け入れられ子孫を残すことに寄与してきたということだろう。

ブランドもののアイテムと同じで学歴というのも経済学者のロバート・H・フランクのいうところの『地位財』なのだ。
現代人の僕らは皆こうした群れのなかで評価されうることに必死になってきてそれで生き残ってきた生物だからだれもがこの方法でカンタンにハッキングされてしまう。
それを巧妙にしかけられたのがこの資本主義社会の『学歴』というワナなのだ。
受験に勝ち、就活にも勝っても資本の奴隷
仮にわりにあわない投機だとしても、勝てばいいじゃないか。
勝って就活に成功したらいいんでしょ?
そう思うかもしれないが、それはどうだろうか。僕たちはすでにニュースで日々その先に起こることをみてきているんじゃないだろうか。
たとえ運よく就職して一瞬勝ったように思えた人のその先に幸せはあるのか。
たとえば大手広告代理店に入社したらどういう人生になるんだろうか。
『残業の日々』というものは学費という大金払ってまで手に入れる価値のあるものなのか?
お金という数字だけ増えても、自由や時間が縛られてしまうのであればそれははたして求めていたものではないだろう。
地下収容所で働いているのと何が違うのか一度おちついて考えてみてもいいかもしれない。