もうすでに完全に人生あがってるのに必要以上にお金増やしてる成功者。
あれってどうなのよって話を考えてみたいと思う。
いったい何のためにそこまでお金という数字を上げてるんだよって話なんだが、これって意外とこの資本主義経済に生まれ育ってる僕らは簡単におちいる罠なんではないかと思うのだ。
お金をゲームスコア化してしまうのは承認欲求
誰かが莫大なお金を手にしたならそれを有益なことに使われることが僕ら庶民の望むところだ。
しかし、民から集めたお金を何に使おうが、それはお金を手にしたものにゆだねられる。
それでよほどいいことに使われているならばいいが、たいがいは酒池肉林のように民には関係のないムダなことに使われるのは歴史からも、うかがい知ることができる。

ゲームで勝つのと同じということは、ただ勝ってスゴイと承認されたいという理由になる。
そんな一個人の承認欲求のために多くの人間のお金を集めて滞らせるのは良いことだろうか。
そもそも承認欲求とはなんのためにあるのかというと、自分の子孫繁栄のために優位であるからあるわけだ。
承認欲求があることで、この人間社会で生き残りやすくより多くの子孫を残してきた。
だからもっとも良い子孫を残すために最高のパートナーが必要で、そのためにお金という他者からの承認を得るための力が必要だ。
というのであれば、世間的な印象のいい悪いはともかくとして生物的には理にかなっている。
しかし子孫残さない宣言をしている場合はどうだろう。
・子どもを作るきもないし結婚もするつもりはない。
・だけどお金だけ増やしてそのスコアの高さを誇っている。
というのであれば、承認欲求が本来の目的とは違った方向に迷走している状態ではないだろうか。
『子どもも結婚もいらないからお金も必要以上いらない』というほうがよほど理にかなった状態である。
もちろん、
「逆に子孫を残さないからこそ、そのぶんこの世に爪痕を残したいんじゃい!」
というのも非常によくわかる。
だから、世の中のためになることをやってたら勝手にお金が必要以上に増えてしまったというのは良いことなのだろう。
問題はゲームのスコアのようにただそれを上げることだけが目的になっている場合だ。
そして、じつはこれは人生あがっている人だけの話ではない。
僕ら庶民にも同じようにお金の数字の大きさをスコアのようにおってしまっている、そんなときはないだろうか?
ネコに小判? むしろ僕らも経済社会の洗脳から脱してネコになろう
猫に小判ということわざは
「価値のわからない人に与えても値打ちがわからないことのたとえ」として使われる。
これは人類の驕りであり、ネコに対してたいへん失礼なことわざだ。

そもそも小判の価値、ようするにお金の価値ってなんなんだという話だ。
貨幣というものが利便性が高く、便利な社会もなりたっている。そしてその価値を僕らは子どものころから知っているから基本的にお金を求めてしまう。
しかし考えてみたらお金それ自体には価値はなく数字でしかない。
それを行使することで初めて価値を持つのに僕らはお金それ自体にまるで価値があるものというように感じてしまう。
お金に価値があると思い込んでしまう人間のほうが愚かでむしろネコの反応のほうが正しく現実を認識できているとはいえないだろうか?
もちろん、生活するためにもお金の力を行使する。
だからお金はたしかにある程度は必要だ。
しかし、必要以上のお金を増やし、ゲームのスコアのように楽しんでしまう人はネコにお金に対する認識のしかたを学ぶ必要があるのかもしれない。

僕らは必要以上に稼がねばならないと思わされている
ひと昔前なら親の稼業を継ぐのが普通などという時代もあった。
しかし現代社会では未就学児にも
「君の夢は何だい? おおきくなったら何になる?」
とたずねられる。
「夢を持とう」「少年よ大志を抱け」と誰からともなくいわれ、それが良いことと思わされる。

一般的に生涯で稼ぐ金額はウン億円だとか子ども一人に養育費1千万だとか、生きていくにはお金はかかると思わされる。
そうして僕らは何かすごいことをして、評価されるようなことをして、お金を稼ぐことが良いことと自然と思うようになっていた。
だからお金をたくさん稼いでいるとスゴイと思ってしまいがちだ。
『お金集めゲーム』に参加しないネコのような生き方

でも、別にお金というスコアを増やすことも『そういうゲーム』なのだとしたらそれって万人にとって本当にスゴイことなんだろうか。
ゲームのチャンピオンを本当にすごいと思うのはそのゲームをやっている人だ。
自分がやっていないゲームだったら基本関係ないからさほどスゴイとも思わないし、嫉妬もくやしいという感情もわかないだろう。
この資本主義社会ではお金集めというゲームがすこぶる流行っていて参加プレイヤーが極めて多い。
だから、これも本当はただの一つのゲームでしかないと忘れてしまいがちだ。
別のゲームのほうが趣味にあうなら、むりに『お金集めゲーム』に付き合う必要はない。
ネコのように小判に興味を示さない生き方もあるのだ。
