いま話題のFIREの是非について今回は考えてみたいと思う。
このようなブログにたどり着いている時点でおそらく
「FIRE? ああ、したいもんだね、できるもんなら」
とお考えではないだろうか。
僕もである。
だから僕はFIREを否定したいわけでもないし、FIREをすすめるインフルエンサーの言っていることもわかる。
でも、どこかで何かが引っかかる感覚だけが拭えない。
そんな感覚がどこからくるのか、気になった方はぜひこの記事を一読いただきたい。
FIREの是非を考える。資本主義から労働力主義へ
このブログは資本主義経済の奴隷から脱して自由になろうぜって話をしているけども、そもそもそれのゴールが『FIRE』という結論でいいのかという話を考えてみたい。
ー FIREとは ー
『Financial Independence Retire Early』 経済的自立して早期退職
FIRE=アーリーリタイア
サイドFIRE=セミリタイア
という昔からある言葉とほぼ同義。
なぜわざわざ新しい言葉を使うようになったかはおそらくマーケティング的な都合。
僕ら庶民的には新しい言葉のほうが流行ってるからとか意識高く感じるからというものだ。
ようするに
「今までスパゲッティと呼んでいたものを世間が急にパスタとか呼ぶようになりやがったな」と同じ感覚と思っておいて問題ない。

さて、FIREという結論でいいのかと疑問を呈すると、いま流行りのFIREにもの申そうとでもいうのかと身構えられてしまうかもしれない。
が、僕はべつにFIRE否定派というわけではない。
結論は同じかもしれないけど、
「FIREしたらどうせヒマだからみんな結局そのうち働くようになるよ」
って定番の話だけではイマイチ腑に落ちなかったわけですよ、僕は。
経済の奴隷から解放された自由人が『FIRE民』なのではなくて、
奴隷主として経済の奴隷を酷使して使っている人が『FIRE民』なのでは?
というなんともイヤんなっちゃう考えが頭に浮かんできちゃうわけ。
酷使される側が今度は逆転して奴隷に働かせて自分は働かない側になっとるやんけというね。
いじめられっ子がなんかのきっかけで今度逆にいじめっ子になっちゃうやつじゃん。
「ふ、普通はないの!? どちらでもないフツーの状態は……!」
と僕は思わずにいられない。
いや、それこそが資本主義社会のルールだから別に悪いとかそういう話ではない。
この“資本主義社会に変革が起きないかぎり”は働かせる側にまわるというのが正解なのだろう。
なので、
「資本主義社会を~……ぶっ壊す!!」
などというスタンスでないかぎりはFIREを目指すと素直に考えることで基本は何も問題ないのだ。
労働力主義社会のほうが健全なのではないか論
『労働力主義』という言葉が実際にあるのかはわからないが、ようするに労働こそが高い価値を持つ社会ということだ。
え、すみません労働とかカンベンです。FIREしたくてこのブログも読んでるのになんでそんなこと言い出すんですか!?
と言われてしまうかもしれないが、つまりこういうことだ。
今の資本主義の中では『労働力』は不当に低い価値にされ資本に利潤を吸い取られている。
資本を持つものが勝者で『資本』があれば何もしなくてもお金を生み続ける。これが資本主義だ。
資本を持つ者にとっては夢のシステムだ。
だから僕ら庶民もなんとかそちら側にまわれんものかとFIREを目指したりするわけだ。
しかし、資本というものはどんどん増えて勝ち続けるというバグというか欠陥としか思えない仕組みだ。
だから格差は広がるばかり。
だから、『資本しか勝たんって資本主義の世の中』から『労働しか勝たんって労働主義の世』に変えたら、普通に働くだけで今まで資本に奪われていた利益も労働者に還元されていいのではという話だ。
すなわち小作人が土地を持つ地主に利益を奪われないのと同様に資本家に利益を搾取されず労働者が儲かる世の中だ。
ちゃんと正当に儲かるなら、働くことはそんなに悪いことでもないはず、という考え方だ。
結局FIREしか勝たん
と、労働力主義について考えをめぐらせてみると理想的な社会がそこにあると思える。
……が、まず労働力主義は実現しないだろう。
なぜならすでに勝っている資本家がそれを許さないからだ。
さっきまで仏のような表情だった資本家も、資本主義を転覆させようなどと言おうものならサッと表情が変わって「おいたはいけません!」といった態度に変貌するからだ。
現在の勝者で力を持つものたちの逆鱗なのだ。
ではどうするべきかというと、結局資本主義のルールの中で戦うしかないだろうと。
一方的に搾取が行われているから格差がやばいわけだ。
だから庶民もFIREを目指す形で資本家になるしかないんだろうなと。
ようするに資本家とその奴隷という現在の形を変えるには全人類が資本家であり労働者でもあるという状態を目指すしかないだろう。
いわば、昨今のインフルエンサーがFIREを薦める発信をしている状態ってのは「お前も鬼(資本家)にならないか?」
と誘っている状態なわけだ。

で、ぶっちゃけ鬼と戦う隊もいないこんな世の中ですからね。むしろ全員が鬼(資本家)になればいいんじゃねって話。
ようするにもうみんなでサイドFIREするしかないよなってのが結論。
なんじゃそりゃー結局FIRE推奨なら、今までのはなんの話だったんだよ、と思うかもしれない。
確かに結論としてはそうだが、
「働かないのサイコー! 労働は他人に任せるぜ」
ってのはイマイチ個人的にはしっくりきていなかった。
だってそうでしょ? 億単位の人間で考えずに5人ぐらいの集落とかシェアハウスぐらいの規模感で考えたら、
「いや、やっぱそれはなんかへんだよな」って思うわけで。
今回の話をブログにまとめてみて、僕自身でも一度FIREに対する認識を再確認することができたと思う。
ようするにFIRE民は鬼。
一部の人だけが鬼な状況よりも、いっそ全員が鬼になったほうが結果みんな幸せになれそう。
だから……
「お前も鬼(サイドFIRE)にならないか?」
というわけだ。
ではまた。